私がイーシャンテンに関わり、ここに至るまでの経緯を語ります。
※10年ほど遡るので記憶違いがあったらごめんなさい。
理科大卒業〜留学
2010年に東京理科大学卒業。
その後の進路は東京理科大大学院進学がすでに決まっていた。
大学4年生の時のある日、小学校時代の友人と飲みに行った。
飲みの席で「特にやりたいことがないからとりあえず大学院に進学を決めた」と友人に話すと、
その友人は就職活動中で「えー!やりたいことなんてたくさんあるよー。やりたいことがありすぎて迷う。」と言われた。
なぜ自分とこんなに考え方が違うのか…と考えた。
その友人はオーストラリアのブリスベンに留学していて、ブリスベンの大学に通っていた。
ふむふむ、オーストラリアにヒントがあるのか。
それまでそんなに行動力がなかった私だがなぜかその時は留学すると即決した。
突発的に、無計画で決めたとこなので、留学費用など持っているわけもなく、親に頭を下げて頼み込んだ。
一旦理科大大学院は休学し、その年の6月からオーストラリアのブリスベンに語学留学した。
留学先では様々な人に出会い、のちの私の人生に大きく影響を与えたといえるだろう。
それまでは将来は大学を卒業して、就職して、会社で働いて、という普通のサラリーマンルートしか頭になかった私だったが、人生には様々な道があるということをそこで初めて知った。
いまでもその時に出会った人とは交流を持っている。
いずれかはオーストラリアでビジネスがしたいと今でも強く思っている。
帰国後〜イーシャンテン入店
2011年3月に帰国。
留学が楽しすぎて戻りたくなかったが、渋々理科大に復帰。
アルバイトを何かやろうと考えていて、『高額 アルバイト』で検索。
なぜか雀荘のアルバイトが見つかったので、雀荘で働こうと考えた。
当時は松戸に住んでいたので松戸のZooに行き、アルバイトの募集をしているかを確認した。
募集しているとのことだったので、今度履歴書を持っていきますと話をつけた。
ちょうど同じ時期に大学の同期のO君からセットを誘われた。
その店がイーシャンテンだった。
初めて訪れた店だったが、大学にも近く、こっちで働く方がよいと考えた私はすぐにアルバイトの募集をしているかを確認し、翌日面接、即採用となった。
その年の7月にイーシャンテンにアルバイトスタッフとして入る。
その時の私の麻雀歴はというと、仲間内でセットで遊ぶ程度で、フリー経験はほとんどなかった。
大学の夏休みに2回ぐらい柏の『どくだみ荘』に行くぐらいだった。
イーシャンテンは2010年からあったが、その時期経営者がコロコロ変わっていて、私が入った時はすでに3代目だった。
私が入ったときは、TさんとSさんという方が経営していた。
さて、当時仲間内のセットで無双を誇っていた私は麻雀には自信があった。
しかしながらいざメンバーとして、フリー麻雀に挑んでみると、これがなかなか難しかった。
常連のおじさん、おばさん連中に負ける日々が続いていった。
Kさんと出会ったのもこの時。
印象に残っているエピソードがある。
同卓している時のある一局、私はカン2ソーでリーチをした。リーチ後、赤5ソーを持ってきて「あーあ」と言いながらツモ切り。その後Kさんの2ソーでロン。
「それはだめだよ」と注意をされた。
当時は何がダメなのかもよくわかっていなかった。(三味線まがいの行為)
フリー経験がほとんどなかった私はそんなことも知らないレベルだった。
そんな中でも私は麻雀が上手くなりたくて日々打ち続けた。
店に来て麻雀、帰ってネット麻雀、店に行く前にゲーセンで麻雀。
こんな感じで、来る日も来る日も麻雀を打ち続けた。
当時は今の環境みたいに教えてくれる人はいなかったため、独学で、ネットで調べながら勉強した。
勉強の甲斐もあってか、入って半年後の1月には月トータルで初めてプラスの成績となった。
イーシャンテンアルバイト時代〜スロット生活
パチスロを覚えるキッカケとなったのもKさんだった。
当時はパチンコしか打ったことはなかったが、パチスロ話を聞いているうちに、興味が湧いてきた。
当時流行っていた『モンキーターン』という機種を勧められ、打ってみた。
Kさんの思惑通り(?)すっかりハマってしまった私はその後暫くパチスロにのめり込んでいく生活が続いていく。
パチスロも最初は負け続けた。
イーシャンテンで稼いだアルバイト代はすぐに無くなってしまった。
タバコを吸うお金もなかったので、店に来て箱を作って、そこからタバコ代を捻出していた。
それでも「どうやったら勝てるのか」と日々考えていて、それはそれで楽しかった。
パチスロも当時周りに教えてくれる人はいなく、ネットで調べながらたくさん勉強した。
幸運にも信頼できるブログに出会い、勝ち方を学ぶことができた。
そこからはトントン拍子で稼げるようになっていった。
麻雀もパチスロも『どうやったら勝てるのか』をただひたすら追求することで、ある程度勝てるようになっていった。
どちらも夢中になって毎日そのことばかり考えていた。
他人から見たら努力していると見られることも、ただ好きでやっていたことなので、当の本人にとってはたいして努力していると感じていない。
麻雀に関してもパチスロに関しても同様のことが言える。
『好きなこと』を『夢中になってやる』
そうすれば大概のことはできるようになる、ということはこの時に学んだ。
イーシャンテンのアルバイトよりも稼げるようになって、麻雀よりもパチスロに夢中になっていった私は、次第に店の方のシフトにあまり入らなくなり、出勤は週に一回だけとなっていった。
イーシャンテンのアルバイトを辞めようと思った時期もあった。
その時にKさんに「もう少し待っててくれ」と引き留められ、思いとどまることに。
出会って間もないときから、Kさんとは「いつか一緒にビジネスをやりたいね」という風に声をかけていただいていた。
何の取り柄もなかった私を必要としてくださったので、力になりたいと思い、そのいつかを待ち続けていた。
時は流れて2015年7月・・・
GM時代〜今
前の経営者のSさんがいなくなり、店の経営をすることになった。
それまで週に1回しか来ないアルバイトだった私が、急に店長のポジションに就くことになった。
とはいってもアルバイトで店に4年ほど在籍していたし、店の勝手もわかっているつもりだったので、なんとかなる、と心のどこかで思っていた。
ところが蓋を開けてみると、世の中そう簡単にうまくは行かない。
店のトップという役職につくということはどういうことか、想像を絶するものだった。
私の軽はずみな発言で問題になったことは多々あった。
常に人に見られていると意識するようになり、言動、立ち振る舞いも変えていった。
自分がどんなに頑張っているつもりでも、そのほとんどはまだまだ足りていないことばかりである。
私の好きな野村克也さんという野球人が『自分の評価は自分で決めるものじゃない。他人が決めるものだ』
と言っていたが、まさにその通りである。
そんなまだまだ至らない自分だが、周りの仲間の支えもあり、この店も7周年を迎えることとなった。
KさんもNさんも人との『縁』を大切にする人だ。
私も人との『縁』に不思議な魅力を感じている。
思えばNさんと共にビジネスをやろうとなったのも、何気ない瞬間だった。
「このメンツで一緒にビジネスができたら最高じゃんか」
みたいなことを言ったと思う。
その時特にそういう話をしようとして集まったわけでないのに、不思議とそういう話になった。
そして大概この手の話は夢物語で流れていくのだが、現実として彼とはビジネスパートナーとなった。
Kさんが私を引き留めていただいたことや、その時に私がほかの道に行かなかったことも、そして店を一緒に運営することになったもの『縁』だと思う。
今現在一緒に働いているみんなも、それぞれ理由がありながらも共にビジネスをしている、ということは一つの『縁』で結ばれていると思う。
また、これまで色々な人が仲間になったが、その中で様々な理由で去っていった人もたくさんいる。
それはそれでそういう『縁』だったと思うし、繋がっていればまた再会するかもしれない。
いま関わっている人たちとも、これから関わる人とも繋がっていく不思議な『縁』を大切にしながらやっていきたい。